毎日の中で出会ういろいろなことを徒然なるままに…♪
|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
4月5日の早朝、ネフティーが旅立ちました。
応援し励ましてくださった皆様に心からの感謝を申し上げます。
少しづつご飯も食べなくなり、金曜日から私を呼ぶ回数が増えました。
時々抱っこをしてやると、すやすやと眠りにつくことも多くなりました。
血糖値が安定しないので、すでにインスリンは止めました。
最後は何回か大きく口を開けると、そのまま旅立っていきました。
私とネフティーは16年半、片時も離れずに過ごしてきました。
それは稀にみる悪戯っ子だったことが主な理由ですが、もちろんそれだけではありません。
この好奇心の強い、どんな悪戯をしても憎めないネフティーが大好きでした。
一心同体とよく呼ばれていましたが、本当に心の半分が空っぽになってしまいました。
小さい頃から次々とたくさんの病を背負い、それでもめげずに16年以上も一緒にいてくれたこと、本当にありがとう。
すでに里親さんにもらわれていっていたのにもかかわらず、私に会うために出戻ってくれてありがとう。
5匹の可愛い子供たちを産んで、たくさんの人たちを幸せにしてくれてありがとう。
最後は痛かったり辛かったりしたのに、頑張って少しでも長く傍にいてくれてありがとう。
5日の午後、ネフティーは骨になって帰ってきました。
見送る時にはお花と、今うちで真っ盛りに咲いている椿の大きな花で飾ってやりました。
華やかな色で見送ってあげるのがネフティーにふさわしいと思ったからです。
苦しかった顔もだんだんと穏やかで優しい顔になりました。
ネフティーとのお別れの言葉はありません。
よく頑張ったね、偉かったよ、という言葉とただひとつの約束です。
必ず、また会うこと。
アヌビーの時、ナイルはすでに息のないお父さんの前に長いこと座ってアヌビーを眺めていました。
でも今回は傍に行くのも嫌がりました。
きっと私と同じ気持ちだったんでしょうね。
あのネフティーがいなくなるなんて信じられない、という気持ち。
それでも、骨になる時もずっとナイルは私たちと一緒に見送りました。
お母さん、またね。
家に帰ってきてからは、ふっと力が抜けていつの間にか目が閉じていましたが、はっと目を覚ますと、ナイルはそれまでネフティーのいたベッドで眠っていました。
それを見た時、不思議と涙よりも微笑んでしまいました。
散々涙は流しました。
でもそれは、ただ寂しさからです。
もう私を呼ぶ声が聞けない、あの柔らかい毛を撫でてあげることができない、そして「こらっ」と言うこともできない。
両親、アヌビーと身近なものを見送った時、今まで必ず悔いが残りました。
もっと何かできたんじゃないか、あの時こうすればよかった、と。
でも、ネフティーには悔いは何もありません。
いつも、考えられることをすべてやってきたからかもしれません。
そして、いつも傍にいてあげられた。
私とネフティーだけの世界は存在し、お互いに理解していたと感じています。
たとえば、今までアヌビーの骨壷を持って一緒に何回か旅行に行きました。
でも、ネフティーはそんなこと必要ないと思えるのです。
体は入れ物、魂は一緒にどこへでも行けますから。
もっとどこか深いところで繋がっている、そんな気がするんです。
動物とそのような関係を持てることなど、以前には信じられませんでした。
でも、やはりできるなら苦しんで欲しくはありませんでした。
それはネフティーに課せられたものだったのかもしれません。
何回も、もうだめかも…というたびに復活し、獣医さんを驚かせてきたネフティー。
本当に頑張ったね。
もう苦しくも痛くもないよ。
私の一日はネフティーのインスリンと食事の時間が柱となっていました。
そしてここ何週間かは、どうすれば食べてくれるかということで頭がいっぱいでした。
それもこれも消えてなくなった今、自分はどうなってしまうのだろう、という不安がありました。
でも意外なことですが、今の私の心は、ネフティーが楽に自由になったという嬉しさで満たされているんです。
寂しい気持ちよりも嬉しい気持ちの方が勝っているんです。
きっとそれは、ネフティーの今の気持ちなんだ、と確信しています。
ネフティーが私にくれたもの、それは数え切れません。
未熟な飼い主を少しはマシに育ててくれたのもネフティー。
母はよく、動物は死んだ時が辛いから飼わないと言っていましたが、私はあえて、一緒に暮らす幸せの時間を選びました。
だから当然いなくなった時の悲しさも覚悟の上でした。
アヌビーがまた生きていた頃、なんやかんやと三匹のうるさい忙しない毎日でしたが、今が一番幸せな時だ、と毎日思ってかみしめ、自分自身に言い聞かせていました。
そして老犬になってからは、すべての犬たちに毎日「大好きだよ。ずっと一緒だからね」とささやき続けました。
もちろん、今はナイルの耳元でささやいています。
そうなんです。
私のことなんかよりも、ナイルのことが心配です。
わがままも言わず、ずっと優等生のナイルはたぶん一匹になってしまった寂しさを自分だけで抱えているのかと思うと、私はいつまでも悲しんでいるわけにはいかないのです。
日曜日は本当ならいつもの公園に行きたかったのですが、花見で、それはもう混雑至極。
行くのはあきらめて、近所より少し遠出の散歩に出かけました。
もちろん、アヌビーもネフティーも喜んでついてきましたよ。
そして、久しぶりに、というか何週間ぶりに6時間も爆睡しました。
頭がすっきりしてくればするほど、悲しい思いがどんどん小さくなっていくのを感じました。
ネフティーは昔のように元気に悪戯しまくっています。
あとは、また会える日を待てばいいのですから。
アイシャママさんに作っていただいたご飯を、結局は食べることはできませんでした。
ごめんなさい。
本当にありがとうございました。
やっと食べられるね。
これから何でも食べ放題だよ、食いしん坊のネフティー。
アヌビーとネフティーが味わった後は、もちろんナイルも。
やはり、私の作ったものよりも全然美味しいらしいです。
週末はまだこのブログを開くことも書くこともできませんでしたが、今はとても穏やかな気持ちです。
ナイルと共に、新しい日常に慣れるのにちょっとだけ時間が必要ですが。
そして晩年痩せてしまったネフティーではなく、ころころとした笑顔のネフティーがいます。
それにしても、うちのゴブリンたちは親孝行です。
最期はいつも私たちふたりが必ずいる時にお別れをしてくれます。
それはきっと、ひとつの群れだと認めてくれたんだね。
ネフティーは三匹の中でもダントツで写真が多いんです。
写真に撮りたくなるようなことをする、ということもありますが。
好きな写真はたくさんありますが、その中の一枚。
雪が大好きでおおはしゃきでした。
今までネフティーを可愛がってくれた方々に、心より感謝致します。
そして、これからのナイルもまた見守っていただければ…と思います。
応援し励ましてくださった皆様に心からの感謝を申し上げます。
少しづつご飯も食べなくなり、金曜日から私を呼ぶ回数が増えました。
時々抱っこをしてやると、すやすやと眠りにつくことも多くなりました。
血糖値が安定しないので、すでにインスリンは止めました。
最後は何回か大きく口を開けると、そのまま旅立っていきました。
私とネフティーは16年半、片時も離れずに過ごしてきました。
それは稀にみる悪戯っ子だったことが主な理由ですが、もちろんそれだけではありません。
この好奇心の強い、どんな悪戯をしても憎めないネフティーが大好きでした。
一心同体とよく呼ばれていましたが、本当に心の半分が空っぽになってしまいました。
小さい頃から次々とたくさんの病を背負い、それでもめげずに16年以上も一緒にいてくれたこと、本当にありがとう。
すでに里親さんにもらわれていっていたのにもかかわらず、私に会うために出戻ってくれてありがとう。
5匹の可愛い子供たちを産んで、たくさんの人たちを幸せにしてくれてありがとう。
最後は痛かったり辛かったりしたのに、頑張って少しでも長く傍にいてくれてありがとう。
5日の午後、ネフティーは骨になって帰ってきました。
見送る時にはお花と、今うちで真っ盛りに咲いている椿の大きな花で飾ってやりました。
華やかな色で見送ってあげるのがネフティーにふさわしいと思ったからです。
苦しかった顔もだんだんと穏やかで優しい顔になりました。
ネフティーとのお別れの言葉はありません。
よく頑張ったね、偉かったよ、という言葉とただひとつの約束です。
必ず、また会うこと。
アヌビーの時、ナイルはすでに息のないお父さんの前に長いこと座ってアヌビーを眺めていました。
でも今回は傍に行くのも嫌がりました。
きっと私と同じ気持ちだったんでしょうね。
あのネフティーがいなくなるなんて信じられない、という気持ち。
それでも、骨になる時もずっとナイルは私たちと一緒に見送りました。
お母さん、またね。
家に帰ってきてからは、ふっと力が抜けていつの間にか目が閉じていましたが、はっと目を覚ますと、ナイルはそれまでネフティーのいたベッドで眠っていました。
それを見た時、不思議と涙よりも微笑んでしまいました。
散々涙は流しました。
でもそれは、ただ寂しさからです。
もう私を呼ぶ声が聞けない、あの柔らかい毛を撫でてあげることができない、そして「こらっ」と言うこともできない。
両親、アヌビーと身近なものを見送った時、今まで必ず悔いが残りました。
もっと何かできたんじゃないか、あの時こうすればよかった、と。
でも、ネフティーには悔いは何もありません。
いつも、考えられることをすべてやってきたからかもしれません。
そして、いつも傍にいてあげられた。
私とネフティーだけの世界は存在し、お互いに理解していたと感じています。
たとえば、今までアヌビーの骨壷を持って一緒に何回か旅行に行きました。
でも、ネフティーはそんなこと必要ないと思えるのです。
体は入れ物、魂は一緒にどこへでも行けますから。
もっとどこか深いところで繋がっている、そんな気がするんです。
動物とそのような関係を持てることなど、以前には信じられませんでした。
でも、やはりできるなら苦しんで欲しくはありませんでした。
それはネフティーに課せられたものだったのかもしれません。
何回も、もうだめかも…というたびに復活し、獣医さんを驚かせてきたネフティー。
本当に頑張ったね。
もう苦しくも痛くもないよ。
私の一日はネフティーのインスリンと食事の時間が柱となっていました。
そしてここ何週間かは、どうすれば食べてくれるかということで頭がいっぱいでした。
それもこれも消えてなくなった今、自分はどうなってしまうのだろう、という不安がありました。
でも意外なことですが、今の私の心は、ネフティーが楽に自由になったという嬉しさで満たされているんです。
寂しい気持ちよりも嬉しい気持ちの方が勝っているんです。
きっとそれは、ネフティーの今の気持ちなんだ、と確信しています。
ネフティーが私にくれたもの、それは数え切れません。
未熟な飼い主を少しはマシに育ててくれたのもネフティー。
母はよく、動物は死んだ時が辛いから飼わないと言っていましたが、私はあえて、一緒に暮らす幸せの時間を選びました。
だから当然いなくなった時の悲しさも覚悟の上でした。
アヌビーがまた生きていた頃、なんやかんやと三匹のうるさい忙しない毎日でしたが、今が一番幸せな時だ、と毎日思ってかみしめ、自分自身に言い聞かせていました。
そして老犬になってからは、すべての犬たちに毎日「大好きだよ。ずっと一緒だからね」とささやき続けました。
もちろん、今はナイルの耳元でささやいています。
そうなんです。
私のことなんかよりも、ナイルのことが心配です。
わがままも言わず、ずっと優等生のナイルはたぶん一匹になってしまった寂しさを自分だけで抱えているのかと思うと、私はいつまでも悲しんでいるわけにはいかないのです。
日曜日は本当ならいつもの公園に行きたかったのですが、花見で、それはもう混雑至極。
行くのはあきらめて、近所より少し遠出の散歩に出かけました。
もちろん、アヌビーもネフティーも喜んでついてきましたよ。
そして、久しぶりに、というか何週間ぶりに6時間も爆睡しました。
頭がすっきりしてくればするほど、悲しい思いがどんどん小さくなっていくのを感じました。
ネフティーは昔のように元気に悪戯しまくっています。
あとは、また会える日を待てばいいのですから。
アイシャママさんに作っていただいたご飯を、結局は食べることはできませんでした。
ごめんなさい。
本当にありがとうございました。
やっと食べられるね。
これから何でも食べ放題だよ、食いしん坊のネフティー。
アヌビーとネフティーが味わった後は、もちろんナイルも。
やはり、私の作ったものよりも全然美味しいらしいです。
週末はまだこのブログを開くことも書くこともできませんでしたが、今はとても穏やかな気持ちです。
ナイルと共に、新しい日常に慣れるのにちょっとだけ時間が必要ですが。
そして晩年痩せてしまったネフティーではなく、ころころとした笑顔のネフティーがいます。
それにしても、うちのゴブリンたちは親孝行です。
最期はいつも私たちふたりが必ずいる時にお別れをしてくれます。
それはきっと、ひとつの群れだと認めてくれたんだね。
ネフティーは三匹の中でもダントツで写真が多いんです。
写真に撮りたくなるようなことをする、ということもありますが。
好きな写真はたくさんありますが、その中の一枚。
雪が大好きでおおはしゃきでした。
今までネフティーを可愛がってくれた方々に、心より感謝致します。
そして、これからのナイルもまた見守っていただければ…と思います。
PR
Comment
0 Comment(s)
プロフィール
HN:
Izzie
性別:
女性
ブログ内検索