毎日の中で出会ういろいろなことを徒然なるままに…♪
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何年か前になりますが、夜寝ようとして目を閉じたら真っ暗にならない。
寝室が薄明かりでぼんやりと見えるんです。
え?なんで?あたしもう目をつぶってるよね…。
もちろん、まだ眠っていないことも確かですし、あちこちとキョロキョロしてみましたが、全部見える。
目つぶっていることを手で確かめて、瞼の上に手をあてても見える。
じぇじぇじぇっ!
さあもう眠れない。
なんで?なんで?なんで?
そのまま起き上がって歩いてもみました。
手を伸ばせば、そこにはちゃんと本があるし、カーテンもある。何かにつまづくこともない。
暗闇に目が慣れてくるように、それはだんだんとはっきりしてきて、まぶたの先に指を1本、2本立てたりするけど、それもちゃんと見える。
脳の働きの悪戯だったら、ああ、これは自分でやっても意味ないな、と思いながら。
残像だったとしたら、こんなに360度リアルに見えるんだろうか…と思ったら、ちょっと怖くなりました。
閉じたまま歩いて行って電気をつけたら、見えるものも明るくなりました。
瞼の中で目をこらしているからか、時間が経つほど鮮明になります。
これ、なんなんでしょ?
それ以来、時々体験します。
試しにタオルで覆ってみましたが、やはり同じでした。
今では慣れてしまったので、見える時もそのまま眠ってしまいますが、その見える条件が何なのかは、未だにわかりません。
実は、昨夜もそうでした。
もしかしたら、目で見ているのではなく、第三の目で見てるとか?という疑惑もあったので、目と目の間を手で覆ってみると…真っ暗になりました。
およよよよよ。
なんだ、やっぱりそうだったのか~と思いながらも眠ってしまいましたが。笑
今までに何度か霊視か?と思われるものを見たことがあります。
もともと何をするにも最終的にはビジュアルで捉えて記憶しているのですが、いきなり画像または動画が現れます。人に関して言えば、一度も会ったことのない人の血縁の方の姿を見たことがありますが、そういうものはすぐ気づきます。その人のことを考えていたら、ふと知らない人が現れるわけですから。
でも、友人や知っている人に関しては、もしかしたら単なる想像として見過ごしている可能性もあるな、と最近思います。
何よりも、自分がそういうものを見ているという自覚がほとんどないので。笑
一番よく見るのは、やはりスポーツに関して。
たとえばサッカーの場合だとすると、試合直前または開始直後に、どちらかのチームの何人かの喜んでいる顔がポンと浮かびます。TVでウォームアップしている時のものが見られる場合には、その時に浮かぶこともあります。私情や思い入れが強すぎるとうまくいきませんが、今までの経験だとほとんど当たっています。
ただ、見たい時に必ずしも見えるというわけではないので、これもきっと何か条件があるはずだと思います。
こういうものを解明したいという気持ちはもちろんありますし、コントロールできたら、とも思いますが、今のところはただの偶然なのか、想像の産物か、自分ではわかりません。
「見る」ということは本当に奥が深いと思います。
必ずしも目で見えるものだけが「見る」ということではないということを知っています。
実際に目で見えないものなのに、あると信じているものはたくさんあります。
最近ミステリーでなく、ちょっと違うジャンルのものを続けて読んでいます。
この地球が将来どうなっていくのか、人類はどう進化していくのか、今までになく興味があり、また心配でもあります。
思うに、現在は超能力を持っている人間は少数派かもしれませんが、この先それが普通になる日が来ると思います。人間には使っていないたくさんの脳の部分を持っていると言われていますし、能力は遺伝によっても受け継がれていくと思いますので、確実に増えていくでしょう。
そうなれば、超能力は超能力ではなくなるわけです。
人間とはケツの穴の小さい動物ですから(失礼!)、特別であるということにいつもこだわり続けます。なぜ特別がそれほど重要なのかわかりませんが、裏を返せば…やっぱりケツの穴が小さいとしか言いようがない。笑
自分の身体さえも把握もしていないのに、持っている知識が最高のものだと言っても説得力は皆無です。
奢りを捨てて謙虚さを持つことこそ、たぶん進化にとって一番必要なことだと感じています。
寝室が薄明かりでぼんやりと見えるんです。
え?なんで?あたしもう目をつぶってるよね…。
もちろん、まだ眠っていないことも確かですし、あちこちとキョロキョロしてみましたが、全部見える。
目つぶっていることを手で確かめて、瞼の上に手をあてても見える。
じぇじぇじぇっ!
さあもう眠れない。
なんで?なんで?なんで?
そのまま起き上がって歩いてもみました。
手を伸ばせば、そこにはちゃんと本があるし、カーテンもある。何かにつまづくこともない。
暗闇に目が慣れてくるように、それはだんだんとはっきりしてきて、まぶたの先に指を1本、2本立てたりするけど、それもちゃんと見える。
脳の働きの悪戯だったら、ああ、これは自分でやっても意味ないな、と思いながら。
残像だったとしたら、こんなに360度リアルに見えるんだろうか…と思ったら、ちょっと怖くなりました。
閉じたまま歩いて行って電気をつけたら、見えるものも明るくなりました。
瞼の中で目をこらしているからか、時間が経つほど鮮明になります。
これ、なんなんでしょ?
それ以来、時々体験します。
試しにタオルで覆ってみましたが、やはり同じでした。
今では慣れてしまったので、見える時もそのまま眠ってしまいますが、その見える条件が何なのかは、未だにわかりません。
実は、昨夜もそうでした。
もしかしたら、目で見ているのではなく、第三の目で見てるとか?という疑惑もあったので、目と目の間を手で覆ってみると…真っ暗になりました。
およよよよよ。
なんだ、やっぱりそうだったのか~と思いながらも眠ってしまいましたが。笑
今までに何度か霊視か?と思われるものを見たことがあります。
もともと何をするにも最終的にはビジュアルで捉えて記憶しているのですが、いきなり画像または動画が現れます。人に関して言えば、一度も会ったことのない人の血縁の方の姿を見たことがありますが、そういうものはすぐ気づきます。その人のことを考えていたら、ふと知らない人が現れるわけですから。
でも、友人や知っている人に関しては、もしかしたら単なる想像として見過ごしている可能性もあるな、と最近思います。
何よりも、自分がそういうものを見ているという自覚がほとんどないので。笑
一番よく見るのは、やはりスポーツに関して。
たとえばサッカーの場合だとすると、試合直前または開始直後に、どちらかのチームの何人かの喜んでいる顔がポンと浮かびます。TVでウォームアップしている時のものが見られる場合には、その時に浮かぶこともあります。私情や思い入れが強すぎるとうまくいきませんが、今までの経験だとほとんど当たっています。
ただ、見たい時に必ずしも見えるというわけではないので、これもきっと何か条件があるはずだと思います。
こういうものを解明したいという気持ちはもちろんありますし、コントロールできたら、とも思いますが、今のところはただの偶然なのか、想像の産物か、自分ではわかりません。
「見る」ということは本当に奥が深いと思います。
必ずしも目で見えるものだけが「見る」ということではないということを知っています。
実際に目で見えないものなのに、あると信じているものはたくさんあります。
最近ミステリーでなく、ちょっと違うジャンルのものを続けて読んでいます。
この地球が将来どうなっていくのか、人類はどう進化していくのか、今までになく興味があり、また心配でもあります。
思うに、現在は超能力を持っている人間は少数派かもしれませんが、この先それが普通になる日が来ると思います。人間には使っていないたくさんの脳の部分を持っていると言われていますし、能力は遺伝によっても受け継がれていくと思いますので、確実に増えていくでしょう。
そうなれば、超能力は超能力ではなくなるわけです。
人間とはケツの穴の小さい動物ですから(失礼!)、特別であるということにいつもこだわり続けます。なぜ特別がそれほど重要なのかわかりませんが、裏を返せば…やっぱりケツの穴が小さいとしか言いようがない。笑
自分の身体さえも把握もしていないのに、持っている知識が最高のものだと言っても説得力は皆無です。
奢りを捨てて謙虚さを持つことこそ、たぶん進化にとって一番必要なことだと感じています。
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