毎日の中で出会ういろいろなことを徒然なるままに…♪
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映画「そして父になる」を観ました。
テーマを知った時、絶対に見るぞという気持ちと、ちょっと怖い気持ちが半々でしたが、この映画は秀逸です。
産院で看護婦によって故意に取り違えられたふたりの赤ん坊が、六年経ってそのことが判明。
このこと自体はどんなに謝罪されようとも許されることではありませんが、この事件によって親としてひとりの人間として大人が成長していく。
実は私には生みの親と育ての親がいます。
生まれる前から実の父の姉、つまり叔母に引き取られることが決まっていました。
これこそ、自分ではどうにもできない運命。
一人っ子として育ち、叔母叔父と言われていたのが実の両親で、従姉妹と言われていたのは実は姉妹だったと初めて知ったのは大学を卒業した時でした。
もちろん混乱もしましたし、なんで?と疑問も持ちましたが、その時私の心の中で一番大きく占めたものは、意外にも、今まで実の子のように育ててくれた両親への感謝の気持ちでした。
年令的にも、知った時期がよかったのではないか、と今でも思っています。
事実を冷静に受け止めることのできる年になっていましたからね。
それと同時に、初めての子供を手放さなければならなかった実の両親の心も想像できました。
情が湧く前に、と生まれてすぐに産院から連れ出された時、母は裸足で追いかけてきたと聞いたこともあります。
父が東京に転勤になった時、私にひと目会いたいと、ある駅のホームの反対側から一度だけ姿を見ることを許されたということも知っています。
育ててくれた両親も長い間、隠し事を胸に秘めていてどんなに辛かっただろう。
それに報いることができたんだろうか。
今でも時々考えることがあります。
それらを全部合わせても、私は望まれて生まれてきて、たくさんの人に愛されていたんだとしみじみ思いました。
そして、四人の親に感謝という言葉では足りないほど、心の中でありがとう、と言いました。
実際にこのことは、私の人生を大きく変えたと言ってもいいと思います。
適当に生きるのではなく、ちゃんと生きよう、たくさんの愛情を受けた分、周りの人たちにも誠意をもって感謝して接しよう、そして人のためになる何かをしよう、と決心したからです。
育ての母はとても厳しい人でしたが、いつも私の将来を見据えていました。
そんな母の影響はとても大きく、今の自分があるのも母のおかげだと思っています。
これはきっと母との縁がとても強かったのかもしれません。
金沢での法事は実の父の一回忌でした。
育ての両親はふたりとも亡くなっていますので、今は母がひとり残っているだけです。
育ての親が生きている間は、やはりふたりの気持ちを考えて、ほとんど連絡をとることはありませんでしたが、亡くなってからは、頻繁に連絡をするようにして旅行などにも連れて行ってあげることもできました。
まだ元気な母には、今までできなかった親孝行を、これからももっとしたいと考えています。
空白の時間を埋めることはできませんが、それでも生んでくれたことへの恩返しを少しでもできるんじゃないかと思うからです。
そういう状況で育ったので、私にとっては血のつながりというものがイマイチぴんときません。
姉妹との付き合いも、う~ん、という感じ。
友だちと同じなのか、それとももうちょっと毛が生えた感じなのか。笑
でも、血のつながりというのは、とても不思議なものです。
言葉では表せない何かは常に感じます。
でもそれは、私を温かく受け入れてくれている親や姉妹のおかげなのかもしれません。
ひとつだけ、なるほどと思ったことがあります。
私は姉妹の中でも一番父親似なんですが、父と同じ職業につきたいと思ったことです。
まだ関係を知らなかった時に、すでになりたいと思っていました。
実現はしませんでしたが、これが血のつながりというものなんでしょうねぇ。
直接血が繋がっていなくとも、それ以上の愛情や思いやりを持つことができる。
それは確信しています。
ただ、私にとって幸いなことは、まったくの他人ではないということです。
昔はこういうことは珍しくなかったようですし、育ての母は叔母ですから血は繋がっています。
となると、父とは他人ということになりますが、それはもう可愛がってもらいましたから、本当に感謝するだけです。
この映画は、結構ドキドキしながら観ました。
六才という年令の時に知ったら、私はどう思ったんだろうか。
映画の中ほど差はなくとも、私はすでに東京に来ていて、かなり環境も違っていました。
一人っ子の私が姉妹の中に溶け込むことはさほど難しくはないと思いますが、反対だったらやっぱり寂しくなって帰りたいと思うのかもしれない。
などと、いろいろなシチュエーションを想像してみました。
親の立場として考えるならば…やはり血のつながりを第一に考えるのは仕方ないのか、と初めは思いましたが、環境というのは想像以上に大きいものなんですね。
人間の心の柔軟性も計り知れないものを含んでいます。
映画では同時に父親の成長も描いていますが、やはり親も子供によって成長するもの。
普通に育った人にはただの物語として映るのかもしれませんが、そうでない人にはさまざまな感情を呼び起こす映画です。
重いテーマなのに、観た後に爽やかな感動を残す、そんな映画でした。
テーマを知った時、絶対に見るぞという気持ちと、ちょっと怖い気持ちが半々でしたが、この映画は秀逸です。
産院で看護婦によって故意に取り違えられたふたりの赤ん坊が、六年経ってそのことが判明。
このこと自体はどんなに謝罪されようとも許されることではありませんが、この事件によって親としてひとりの人間として大人が成長していく。
実は私には生みの親と育ての親がいます。
生まれる前から実の父の姉、つまり叔母に引き取られることが決まっていました。
これこそ、自分ではどうにもできない運命。
一人っ子として育ち、叔母叔父と言われていたのが実の両親で、従姉妹と言われていたのは実は姉妹だったと初めて知ったのは大学を卒業した時でした。
もちろん混乱もしましたし、なんで?と疑問も持ちましたが、その時私の心の中で一番大きく占めたものは、意外にも、今まで実の子のように育ててくれた両親への感謝の気持ちでした。
年令的にも、知った時期がよかったのではないか、と今でも思っています。
事実を冷静に受け止めることのできる年になっていましたからね。
それと同時に、初めての子供を手放さなければならなかった実の両親の心も想像できました。
情が湧く前に、と生まれてすぐに産院から連れ出された時、母は裸足で追いかけてきたと聞いたこともあります。
父が東京に転勤になった時、私にひと目会いたいと、ある駅のホームの反対側から一度だけ姿を見ることを許されたということも知っています。
育ててくれた両親も長い間、隠し事を胸に秘めていてどんなに辛かっただろう。
それに報いることができたんだろうか。
今でも時々考えることがあります。
それらを全部合わせても、私は望まれて生まれてきて、たくさんの人に愛されていたんだとしみじみ思いました。
そして、四人の親に感謝という言葉では足りないほど、心の中でありがとう、と言いました。
実際にこのことは、私の人生を大きく変えたと言ってもいいと思います。
適当に生きるのではなく、ちゃんと生きよう、たくさんの愛情を受けた分、周りの人たちにも誠意をもって感謝して接しよう、そして人のためになる何かをしよう、と決心したからです。
育ての母はとても厳しい人でしたが、いつも私の将来を見据えていました。
そんな母の影響はとても大きく、今の自分があるのも母のおかげだと思っています。
これはきっと母との縁がとても強かったのかもしれません。
金沢での法事は実の父の一回忌でした。
育ての両親はふたりとも亡くなっていますので、今は母がひとり残っているだけです。
育ての親が生きている間は、やはりふたりの気持ちを考えて、ほとんど連絡をとることはありませんでしたが、亡くなってからは、頻繁に連絡をするようにして旅行などにも連れて行ってあげることもできました。
まだ元気な母には、今までできなかった親孝行を、これからももっとしたいと考えています。
空白の時間を埋めることはできませんが、それでも生んでくれたことへの恩返しを少しでもできるんじゃないかと思うからです。
そういう状況で育ったので、私にとっては血のつながりというものがイマイチぴんときません。
姉妹との付き合いも、う~ん、という感じ。
友だちと同じなのか、それとももうちょっと毛が生えた感じなのか。笑
でも、血のつながりというのは、とても不思議なものです。
言葉では表せない何かは常に感じます。
でもそれは、私を温かく受け入れてくれている親や姉妹のおかげなのかもしれません。
ひとつだけ、なるほどと思ったことがあります。
私は姉妹の中でも一番父親似なんですが、父と同じ職業につきたいと思ったことです。
まだ関係を知らなかった時に、すでになりたいと思っていました。
実現はしませんでしたが、これが血のつながりというものなんでしょうねぇ。
直接血が繋がっていなくとも、それ以上の愛情や思いやりを持つことができる。
それは確信しています。
ただ、私にとって幸いなことは、まったくの他人ではないということです。
昔はこういうことは珍しくなかったようですし、育ての母は叔母ですから血は繋がっています。
となると、父とは他人ということになりますが、それはもう可愛がってもらいましたから、本当に感謝するだけです。
この映画は、結構ドキドキしながら観ました。
六才という年令の時に知ったら、私はどう思ったんだろうか。
映画の中ほど差はなくとも、私はすでに東京に来ていて、かなり環境も違っていました。
一人っ子の私が姉妹の中に溶け込むことはさほど難しくはないと思いますが、反対だったらやっぱり寂しくなって帰りたいと思うのかもしれない。
などと、いろいろなシチュエーションを想像してみました。
親の立場として考えるならば…やはり血のつながりを第一に考えるのは仕方ないのか、と初めは思いましたが、環境というのは想像以上に大きいものなんですね。
人間の心の柔軟性も計り知れないものを含んでいます。
映画では同時に父親の成長も描いていますが、やはり親も子供によって成長するもの。
普通に育った人にはただの物語として映るのかもしれませんが、そうでない人にはさまざまな感情を呼び起こす映画です。
重いテーマなのに、観た後に爽やかな感動を残す、そんな映画でした。
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