毎日の中で出会ういろいろなことを徒然なるままに…♪
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いろいろな事情で、金沢での法事の前の日があいたので、那谷寺を訪れることにしました。
どうしようか、と迷っている時、たいていどこかへ導かれていきます。誰に勧められたわけでもなし、ポンと目の前に現れたこのお寺。行きたいと思ったら、それは今私が行くべき場所なのかもしれません。
金沢から車で1時間ちょっと。小松空港を通り過ぎて山の中に入っていく感じ。さすがに大きなお寺だけあって、朝からたくさんの人。

看板からもわかる通り、広いんです。古くから信仰の深い白山が那谷寺を抱くようにそびえたっています。
白山の神が十一面観音と同じ神であることを感得した「越の大徳(たいとこ)」とよばれ、多くの人々の崇敬を集めた名僧・泰澄法師が養老元年(717年)霊夢に現れた千手観音の姿を彫って岩窟内に安置しました。法師は「自生山 岩屋寺」と名付け、寺は法師を慕う人々や白山修験者たちによって栄えました。
平安時代中期の寛和2年(986年)花山法皇が、岩窟内で光り輝く観音三十三身の姿を感じられ、「私が求めている観音霊場三十三カ所はすべてこの山にある」と言われて、西国三十三カ所の第1番・那智山の「那」と、第33番・谷汲山の「谷」をとって「那谷寺」と改められたと言われています。
中世に入った南北朝時代には、足利尊氏側の軍勢が寺を摂取して城塞とし、新田義貞側がこれを陥れ、一山堂宇ことごとく灰燼に帰するという悲劇が起こったことや、一向宗に近づく僧や信者が続出して次第に勢力を弱めました。しかし、一部の修験者たちによって命懸けで寺を護持されたと言います。
江戸時代になると、第3代加賀藩主・前田利常公が寛永17年(1640年)後水尾院の命を受けて、名工・山上善右衛門らに岩窟内本殿、拝殿、唐門、三重塔、護摩堂、鐘楼、書院などを造らせます。利常公自らが書院に住み、庭園は現在、国指定重要文化財および国指定名勝となっています。
元禄2年(1689年)には「奥の細道」道中の松尾芭蕉もここを訪れています。

ここから入って行きます。

扉の内側には大きな金剛力士。

ところどころに立つ可愛いお地蔵さん。

金堂は平成二年に六百五十年ぶりに再建。総桧造りにて鎌倉時代和様建築様式、本尊丈六の十一面千手観音を始め、白山曼荼羅、秦澄神融禅師、中興の祖花山法皇を安置。壁面は郷土が生んだ代表作家による作品で飾られています。

奥には巨大な十一面千手観音が。
古さはありませんが、そのかわりに吸い込まれるような神々しさがありました。
デザイン的にはすごく好きです。

早速ここで御朱印をいただきました。
入り口で一般拝観料+200円で、利常公縁の書院と庭園を拝観することができます。

利常公の籠。さすがにきらびやかで美しい。
しかし、昔の人は小さかったんでしょうねぇ。結構小さいので長時間乗るのは辛そうです。

庭園には石像がたくさんあるのですが、和風ではありません。北西隅に利常公愛用の茶室、如是庵があります。

こういう洞窟を見るとわくわくします。

数百年を経た杉椿の樹林の参道。両側に並ぶ石燈篭は江戸期に寄進されたものです。杉並木は小松より那谷寺にいたる御幸街道杉の一部で、寛永年間に加賀藩主前田利常公が植樹したものです。
静かで清々しい空気の中を歩いていると、ついタイムスリップしてしまいます。

奇岩霊石がそそりたち、その下の蓮池には巨大な鯉がたくさんいます。ここは、その昔海底噴火の跡と伝えられています。

向かい側にある白山妙理大権現を祠る鎮守堂からの美しい眺め。
実は、あまりにのんびりとしていたので、ここに来た時には太陽はすっかり真上に。
写真で見えるかどうかわかりませんが、岩を削り取った階段が続いていて、上の岩窟まで登ることができます。もちろん、手すりなし、足を踏み外せば池に直行。
暑いし無謀か…とも思いましたが、当然登りましたとも。

汗だくで到着した一番上の岩窟。中はとても涼しい風が吹いていました。ここでちょっとひと休み。

これが上からの景色です。黒い大きな鯉の影が、まるで口を開けて待ち受けているような錯覚に…。笑

本殿への門。

門を入った左側の不動明王。私の守り神なので見逃しませんよ。
ここで手を清め、つけていた天然石にもパワーをもらいました。

本殿。観世音菩薩の慈眼視衆生の大慈悲心の御誓願により大悲閣と呼ばれています。本殿岩窟前の一大岩壁に寄って建てられおり、四棟舞台造り、四方欄間浮彫りで、鹿、鳳凰、鶴、松、竹、梅、橘、紅葉等花鳥が配されています。本殿自体は岩窟内に構築され、中に厨子があり、ともに支那及び南洋材をもってつくられています。内に那谷寺御本尊千手観世音菩薩を安置してあります。
しかし、特徴があるだけでなく、彫りも精巧で威厳すら感じます。
この他にもたくさん見るべき建物があるのですが、今日はここまで。
また季節の良い時に訪れたいと思います。さぞかし岩窟の景色はきれいでしょうね。

ここに来てから、尻尾が群青色に透き通ったとても美しいイモリに出会いました。それを皮切りに、イモリが二匹、ヘビ二匹とご対面。ようやくとらえた最後のヘビです。
こういう場所で会うと、歓迎されているような気持ちになります。
最近気づいたんですが、実はイモリ、ヤモリ大好きかも。
それはさておいて、ここに導かれたのには何か意味があるはず。
今はわかりませんが、きっとそのうち…。
どうしようか、と迷っている時、たいていどこかへ導かれていきます。誰に勧められたわけでもなし、ポンと目の前に現れたこのお寺。行きたいと思ったら、それは今私が行くべき場所なのかもしれません。
金沢から車で1時間ちょっと。小松空港を通り過ぎて山の中に入っていく感じ。さすがに大きなお寺だけあって、朝からたくさんの人。
看板からもわかる通り、広いんです。古くから信仰の深い白山が那谷寺を抱くようにそびえたっています。
白山の神が十一面観音と同じ神であることを感得した「越の大徳(たいとこ)」とよばれ、多くの人々の崇敬を集めた名僧・泰澄法師が養老元年(717年)霊夢に現れた千手観音の姿を彫って岩窟内に安置しました。法師は「自生山 岩屋寺」と名付け、寺は法師を慕う人々や白山修験者たちによって栄えました。
平安時代中期の寛和2年(986年)花山法皇が、岩窟内で光り輝く観音三十三身の姿を感じられ、「私が求めている観音霊場三十三カ所はすべてこの山にある」と言われて、西国三十三カ所の第1番・那智山の「那」と、第33番・谷汲山の「谷」をとって「那谷寺」と改められたと言われています。
中世に入った南北朝時代には、足利尊氏側の軍勢が寺を摂取して城塞とし、新田義貞側がこれを陥れ、一山堂宇ことごとく灰燼に帰するという悲劇が起こったことや、一向宗に近づく僧や信者が続出して次第に勢力を弱めました。しかし、一部の修験者たちによって命懸けで寺を護持されたと言います。
江戸時代になると、第3代加賀藩主・前田利常公が寛永17年(1640年)後水尾院の命を受けて、名工・山上善右衛門らに岩窟内本殿、拝殿、唐門、三重塔、護摩堂、鐘楼、書院などを造らせます。利常公自らが書院に住み、庭園は現在、国指定重要文化財および国指定名勝となっています。
元禄2年(1689年)には「奥の細道」道中の松尾芭蕉もここを訪れています。
ここから入って行きます。
扉の内側には大きな金剛力士。
ところどころに立つ可愛いお地蔵さん。
金堂は平成二年に六百五十年ぶりに再建。総桧造りにて鎌倉時代和様建築様式、本尊丈六の十一面千手観音を始め、白山曼荼羅、秦澄神融禅師、中興の祖花山法皇を安置。壁面は郷土が生んだ代表作家による作品で飾られています。
奥には巨大な十一面千手観音が。
古さはありませんが、そのかわりに吸い込まれるような神々しさがありました。
デザイン的にはすごく好きです。
早速ここで御朱印をいただきました。
入り口で一般拝観料+200円で、利常公縁の書院と庭園を拝観することができます。
利常公の籠。さすがにきらびやかで美しい。
しかし、昔の人は小さかったんでしょうねぇ。結構小さいので長時間乗るのは辛そうです。
庭園には石像がたくさんあるのですが、和風ではありません。北西隅に利常公愛用の茶室、如是庵があります。
こういう洞窟を見るとわくわくします。
数百年を経た杉椿の樹林の参道。両側に並ぶ石燈篭は江戸期に寄進されたものです。杉並木は小松より那谷寺にいたる御幸街道杉の一部で、寛永年間に加賀藩主前田利常公が植樹したものです。
静かで清々しい空気の中を歩いていると、ついタイムスリップしてしまいます。
奇岩霊石がそそりたち、その下の蓮池には巨大な鯉がたくさんいます。ここは、その昔海底噴火の跡と伝えられています。
向かい側にある白山妙理大権現を祠る鎮守堂からの美しい眺め。
実は、あまりにのんびりとしていたので、ここに来た時には太陽はすっかり真上に。
写真で見えるかどうかわかりませんが、岩を削り取った階段が続いていて、上の岩窟まで登ることができます。もちろん、手すりなし、足を踏み外せば池に直行。
暑いし無謀か…とも思いましたが、当然登りましたとも。
汗だくで到着した一番上の岩窟。中はとても涼しい風が吹いていました。ここでちょっとひと休み。
これが上からの景色です。黒い大きな鯉の影が、まるで口を開けて待ち受けているような錯覚に…。笑
本殿への門。
門を入った左側の不動明王。私の守り神なので見逃しませんよ。
ここで手を清め、つけていた天然石にもパワーをもらいました。
本殿。観世音菩薩の慈眼視衆生の大慈悲心の御誓願により大悲閣と呼ばれています。本殿岩窟前の一大岩壁に寄って建てられおり、四棟舞台造り、四方欄間浮彫りで、鹿、鳳凰、鶴、松、竹、梅、橘、紅葉等花鳥が配されています。本殿自体は岩窟内に構築され、中に厨子があり、ともに支那及び南洋材をもってつくられています。内に那谷寺御本尊千手観世音菩薩を安置してあります。
しかし、特徴があるだけでなく、彫りも精巧で威厳すら感じます。
この他にもたくさん見るべき建物があるのですが、今日はここまで。
また季節の良い時に訪れたいと思います。さぞかし岩窟の景色はきれいでしょうね。
ここに来てから、尻尾が群青色に透き通ったとても美しいイモリに出会いました。それを皮切りに、イモリが二匹、ヘビ二匹とご対面。ようやくとらえた最後のヘビです。
こういう場所で会うと、歓迎されているような気持ちになります。
最近気づいたんですが、実はイモリ、ヤモリ大好きかも。
それはさておいて、ここに導かれたのには何か意味があるはず。
今はわかりませんが、きっとそのうち…。
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