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毎日の中で出会ういろいろなことを徒然なるままに…♪
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能登半島ではトンビをたくさん見ました。
輪島では駅前に他の鳥たちに混じって、1匹のトンビが堂々と看板の上にとまっていましたが、お店の人の話ですと、餌をやる人がいて住み着いたそうです。
おかげで被害もある、ということでしたが、こんなに間近かで野生のトンビを見たのは初めてだったかもしれません。
珠洲での朝、ピーヒョロロという空気を切り裂くような鳴き声で目が覚めました。
実は、朝日を見に行きたいとは思っていたのですが、前日は東京から来ているので疲れているし、夜明け前に果たして起きれるかどうかわからないので、もし起きれたら行こうと話していました。
トンビのおかげで目が覚め、美しい朝日を拝むことができたわけですが、宿を出る時に一羽のトンビが車を誘導するように前方上空を飛んでいるのが見えました。
写真を撮って車に乗り込む時にも、すぐ近くにとまっていたので
「さあ、行くよ、岬まで一緒に行こう」と声をかけると、金剛岬の方向に飛んでいきました。
その後、たびたびトンビを見かけましたが、そりゃたくさんいるでしょうし、私もいつも空を見て探していたわけではありません。
時々気がつくと、上空で輪を描いていたり近くにとまっているのを見かけましたが、ほとんど気にしませんでした。
旅をしている時にはその程度だったんですが、金沢に帰ってきて、さあ東京に帰るぞと街中を走っていてコンビニに寄った時のことです。
ふと空を見ると、頭の上で一羽のトンビがずっといつまでも円を描いて回っています。
トンビともこれでお別れだなと思い、「ありがとう、また来るね」と言った途端に、すっと行ってしまいました。
まさかずっと同じトンビだとは考えにくいですし、たまたまと考えるのが妥当だと思いますが、実はこの瞬間に何かを感じたんです。
それは熱く、どこか懐かしい感じのするものでした。
この地は私にとって故郷とも呼べる場所。
長い人生で、ほとんど足を向けることはありませんでしたが、この年になってとても愛おしく感じる場所になっています。
いろいろな事柄が重なって、ここに導かれたのだとも感じています。
それが何を意味するのか、今はまだわかりませんが、きっとわかる日がくると思っています。
物事には必ず前兆があり、偶然というものは存在しません。
トンビが誰の化身だったかはわかりませんが、この旅を守ってくれたのかもしれません。
それとも、まだ見ぬ産土の神様だったかも。
人の心は目には見えませんが、とても大きなエネルギーを持っています。
偏った信仰などではなく、自然や他人の心、今ここに自分が存在することに感謝することはとても大切なことだと思っています。
日本海の力強い海は、個人の小さな事柄を吹き飛ばし、丸い地平線は地球というひとつの大きな生命体を思い出させてくれました。
ひとつのアクションを起こした時に連動する何か…そこから学べることはたくさんあります。
無事に旅を終え、清々しい気持ちで家に帰る、それは当たり前のように見えて、そうではないのかもしれません。
守られている、と常に感じること、それが感謝の第一歩なんだとつくづく感じます。
輪島では駅前に他の鳥たちに混じって、1匹のトンビが堂々と看板の上にとまっていましたが、お店の人の話ですと、餌をやる人がいて住み着いたそうです。
おかげで被害もある、ということでしたが、こんなに間近かで野生のトンビを見たのは初めてだったかもしれません。
珠洲での朝、ピーヒョロロという空気を切り裂くような鳴き声で目が覚めました。
実は、朝日を見に行きたいとは思っていたのですが、前日は東京から来ているので疲れているし、夜明け前に果たして起きれるかどうかわからないので、もし起きれたら行こうと話していました。
トンビのおかげで目が覚め、美しい朝日を拝むことができたわけですが、宿を出る時に一羽のトンビが車を誘導するように前方上空を飛んでいるのが見えました。
写真を撮って車に乗り込む時にも、すぐ近くにとまっていたので
「さあ、行くよ、岬まで一緒に行こう」と声をかけると、金剛岬の方向に飛んでいきました。
その後、たびたびトンビを見かけましたが、そりゃたくさんいるでしょうし、私もいつも空を見て探していたわけではありません。
時々気がつくと、上空で輪を描いていたり近くにとまっているのを見かけましたが、ほとんど気にしませんでした。
旅をしている時にはその程度だったんですが、金沢に帰ってきて、さあ東京に帰るぞと街中を走っていてコンビニに寄った時のことです。
ふと空を見ると、頭の上で一羽のトンビがずっといつまでも円を描いて回っています。
トンビともこれでお別れだなと思い、「ありがとう、また来るね」と言った途端に、すっと行ってしまいました。
まさかずっと同じトンビだとは考えにくいですし、たまたまと考えるのが妥当だと思いますが、実はこの瞬間に何かを感じたんです。
それは熱く、どこか懐かしい感じのするものでした。
この地は私にとって故郷とも呼べる場所。
長い人生で、ほとんど足を向けることはありませんでしたが、この年になってとても愛おしく感じる場所になっています。
いろいろな事柄が重なって、ここに導かれたのだとも感じています。
それが何を意味するのか、今はまだわかりませんが、きっとわかる日がくると思っています。
物事には必ず前兆があり、偶然というものは存在しません。
トンビが誰の化身だったかはわかりませんが、この旅を守ってくれたのかもしれません。
それとも、まだ見ぬ産土の神様だったかも。
人の心は目には見えませんが、とても大きなエネルギーを持っています。
偏った信仰などではなく、自然や他人の心、今ここに自分が存在することに感謝することはとても大切なことだと思っています。
日本海の力強い海は、個人の小さな事柄を吹き飛ばし、丸い地平線は地球というひとつの大きな生命体を思い出させてくれました。
ひとつのアクションを起こした時に連動する何か…そこから学べることはたくさんあります。
無事に旅を終え、清々しい気持ちで家に帰る、それは当たり前のように見えて、そうではないのかもしれません。
守られている、と常に感じること、それが感謝の第一歩なんだとつくづく感じます。
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以前にも書いた通り、産土の神様と鎮守の神様を調べてもらっていましたが、今日その結果が届きました。
実はそれを見た時、驚くというよりも、つい顔がほころんでしまいました。
「…うそ」という言葉も出ていましたが。
まずは産土の神様ですが、生まれたのは近辺ではないので神社は近くにはありません。
でも生まれたところ(正確にはお腹の中にいた時に母親が住んでいた場所ですが)のまわりには、それこそ何十という神社があって、正確な神社が知りたくて調べてもらったのですが、実は地図を調べていた時に気になる神社がひとつありました。
そして、やはり、そこが私の産土神社でした。
今日のメインはこれからです。
今年の春に詳しく日記にも書いている神社のことです。
http://goblin.side-story.net/Date/20130317/
http://goblin.side-story.net/Date/20130322/
http://goblin.side-story.net/Date/20130323/
今読み返しても、珍しくかなりしつこく書いていますし、気になっていた様子ですねぇ。
たぶん、この時に神様に呼ばれたんだと思います。
なぜなら、この春日神社こそ、鎮守神社だったんです。
これも書きましたが、もう何十年も頻繁にお参りしていた、もっと近くの神社だと思っていたことがはずれたことにも多少ショックは受けましたが、それよりも、あの時の疑問がやっと解決したわけです。
半年かかりましたねぇ。笑
これからは、そちらにもお参りにいかなくちゃ。
ちなみに、一緒に住んでいるダンナの鎮守神社は同じではありませんでした。
これも想定済み。笑
今回調べていただいたのは、こちらです。
産土神社と鎮守神社、またオプションで職場や学校なども調べてくれます。
そして、守護霊の守護パワーや高級先祖霊の守護数、神仏や仏尊の守護度なども一緒に教えていただけます。
かなり興味深かったです。
私はどちらかというと、有難いことに守護パワーは強い方でした。
それは何十年も前から感じていたことですが、具体的に知ることができて嬉しかったです。
また、各神社での祈り方なども詳しく書いた資料も同封されています。
これからもっと守護パワーを増やすべく、たくさんお参りしたいと思っています。
産土神社の神様にも近々お会いしに行く予定です。
実はそれを見た時、驚くというよりも、つい顔がほころんでしまいました。
「…うそ」という言葉も出ていましたが。
まずは産土の神様ですが、生まれたのは近辺ではないので神社は近くにはありません。
でも生まれたところ(正確にはお腹の中にいた時に母親が住んでいた場所ですが)のまわりには、それこそ何十という神社があって、正確な神社が知りたくて調べてもらったのですが、実は地図を調べていた時に気になる神社がひとつありました。
そして、やはり、そこが私の産土神社でした。
今日のメインはこれからです。
今年の春に詳しく日記にも書いている神社のことです。
http://goblin.side-story.net/Date/20130317/
http://goblin.side-story.net/Date/20130322/
http://goblin.side-story.net/Date/20130323/
今読み返しても、珍しくかなりしつこく書いていますし、気になっていた様子ですねぇ。
たぶん、この時に神様に呼ばれたんだと思います。
なぜなら、この春日神社こそ、鎮守神社だったんです。
これも書きましたが、もう何十年も頻繁にお参りしていた、もっと近くの神社だと思っていたことがはずれたことにも多少ショックは受けましたが、それよりも、あの時の疑問がやっと解決したわけです。
半年かかりましたねぇ。笑
これからは、そちらにもお参りにいかなくちゃ。
ちなみに、一緒に住んでいるダンナの鎮守神社は同じではありませんでした。
これも想定済み。笑
今回調べていただいたのは、こちらです。
産土神社と鎮守神社、またオプションで職場や学校なども調べてくれます。
そして、守護霊の守護パワーや高級先祖霊の守護数、神仏や仏尊の守護度なども一緒に教えていただけます。
かなり興味深かったです。
私はどちらかというと、有難いことに守護パワーは強い方でした。
それは何十年も前から感じていたことですが、具体的に知ることができて嬉しかったです。
また、各神社での祈り方なども詳しく書いた資料も同封されています。
これからもっと守護パワーを増やすべく、たくさんお参りしたいと思っています。
産土神社の神様にも近々お会いしに行く予定です。
中学生の時に今の家に移ってきた時から、近くの神社にお参りしています。
それは、母にここの神社がこの土地を守ってくれているから、と言われたからですが、同時に旅行や留学などの時にも必ず行っています。ちなみに、この神社は氏神様です。
ちょっと調べてみたところ、鎮守様と氏神様、同じ場合もあるし、違うこともあるそうです。
けれど、この神社はとても好きで、途中には私を守ってくれている不動明王もいらっしゃるので、たぶん同じだと思うのですが。
さて、最近になっていろいろ本を読んでいるうちに、産土(うぶすな)の神様を知りました。
もっと早く知っていれば…と思いましたが、いえいえ、今からでも遅くはありません。
産土の神様は生まれる前から死んだ後も守ってくれる神様です。
つまり、ひとりひとりに特別に担当してくれる一生の神様だそうです。
その神様がいらっしゃるところは、生まれたところです。お腹にいた時にお母さんが住んでいたところ。これはきっと魂とのつながりですね。
同じ家族でも同じ神様とはかぎらないようで、名前や生年月日で変わるようです。それは家族という囲みではなく、一霊四魂の縁につながるものだからです。
私の場合、生まれたのは能登半島で、産土神社のある土地には小さい頃に一度しか訪れていません。
この神社を知るために、なんとか自分でリサーチできないか…とやってみましたが、やっぱり情報を集めて専門家の方にお願いした方が無難のようです。やはり正確なところが知りたいですからね。
産土の神様を参拝することで、どんなご利益があるのか。
お正月を含めて、年に一度くらいはどんな人でも参拝に行くと思いますが、自分を特別に守ってくれている神様は思いが通じやすいのだそうです。産土神とアクセスできると、他の神社に行っても、産土神が先回りをして「来るから、頼むね」とお願いもしてくれるそうです。結局、縁もゆかりもない大きな、または有名な神社に行くよりも、産土神社にお参りすることによって、たくさんの神様に効率的にストレートに通じる、ということなんですね。
直接自分を守護してくれている神様に感謝することによって、「おかげ」をいただきやすい、ということになります。
これはいわば魂のルーツ…とも言えるのかもしれません。特別な宗教を持たない人の多い私たちにとって、魂の拠り所があることは、とても大きなことですね。
もともと日本人は太古の神を敬い、お祭りなどを通して自然に神が宿ることを知っていました。産土神をお参りすることは、宗教以前のことなのです。
今の殺伐とした世の中で、何が必要なのか。
単なる神頼みではなく、ひとりひとりが魂の故郷を得ることではないか、と感じています。それはたぶん、大きなこと、宇宙規模へさえもとつながるはずだと思います。
産土神社がわかり次第、できるだけ早くお参りに行って、今まで一度も訪れなかったことをお詫びしなくちゃなりませんね。
不思議なことに、そういう神様が存在すると知っただけで、かなり幸せな気分になっています。無条件で愛してくれた両親が傍にいなくなった今だから、余計に…なのかもしれません。
私の残りの人生がどんなふうになるのか、どんな気持ちで過ごせるのか、楽しみになってきました。
遠いので、そうしょっちゅうはお参りできませんが、今までこっそり見守ってくださったこと、とにかく感謝の気持ちだけは伝えてきます。
それは、母にここの神社がこの土地を守ってくれているから、と言われたからですが、同時に旅行や留学などの時にも必ず行っています。ちなみに、この神社は氏神様です。
ちょっと調べてみたところ、鎮守様と氏神様、同じ場合もあるし、違うこともあるそうです。
けれど、この神社はとても好きで、途中には私を守ってくれている不動明王もいらっしゃるので、たぶん同じだと思うのですが。
さて、最近になっていろいろ本を読んでいるうちに、産土(うぶすな)の神様を知りました。
もっと早く知っていれば…と思いましたが、いえいえ、今からでも遅くはありません。
産土の神様は生まれる前から死んだ後も守ってくれる神様です。
つまり、ひとりひとりに特別に担当してくれる一生の神様だそうです。
その神様がいらっしゃるところは、生まれたところです。お腹にいた時にお母さんが住んでいたところ。これはきっと魂とのつながりですね。
同じ家族でも同じ神様とはかぎらないようで、名前や生年月日で変わるようです。それは家族という囲みではなく、一霊四魂の縁につながるものだからです。
私の場合、生まれたのは能登半島で、産土神社のある土地には小さい頃に一度しか訪れていません。
この神社を知るために、なんとか自分でリサーチできないか…とやってみましたが、やっぱり情報を集めて専門家の方にお願いした方が無難のようです。やはり正確なところが知りたいですからね。
産土の神様を参拝することで、どんなご利益があるのか。
お正月を含めて、年に一度くらいはどんな人でも参拝に行くと思いますが、自分を特別に守ってくれている神様は思いが通じやすいのだそうです。産土神とアクセスできると、他の神社に行っても、産土神が先回りをして「来るから、頼むね」とお願いもしてくれるそうです。結局、縁もゆかりもない大きな、または有名な神社に行くよりも、産土神社にお参りすることによって、たくさんの神様に効率的にストレートに通じる、ということなんですね。
直接自分を守護してくれている神様に感謝することによって、「おかげ」をいただきやすい、ということになります。
これはいわば魂のルーツ…とも言えるのかもしれません。特別な宗教を持たない人の多い私たちにとって、魂の拠り所があることは、とても大きなことですね。
もともと日本人は太古の神を敬い、お祭りなどを通して自然に神が宿ることを知っていました。産土神をお参りすることは、宗教以前のことなのです。
今の殺伐とした世の中で、何が必要なのか。
単なる神頼みではなく、ひとりひとりが魂の故郷を得ることではないか、と感じています。それはたぶん、大きなこと、宇宙規模へさえもとつながるはずだと思います。
産土神社がわかり次第、できるだけ早くお参りに行って、今まで一度も訪れなかったことをお詫びしなくちゃなりませんね。
不思議なことに、そういう神様が存在すると知っただけで、かなり幸せな気分になっています。無条件で愛してくれた両親が傍にいなくなった今だから、余計に…なのかもしれません。
私の残りの人生がどんなふうになるのか、どんな気持ちで過ごせるのか、楽しみになってきました。
遠いので、そうしょっちゅうはお参りできませんが、今までこっそり見守ってくださったこと、とにかく感謝の気持ちだけは伝えてきます。
何年か前になりますが、夜寝ようとして目を閉じたら真っ暗にならない。
寝室が薄明かりでぼんやりと見えるんです。
え?なんで?あたしもう目をつぶってるよね…。
もちろん、まだ眠っていないことも確かですし、あちこちとキョロキョロしてみましたが、全部見える。
目つぶっていることを手で確かめて、瞼の上に手をあてても見える。
じぇじぇじぇっ!
さあもう眠れない。
なんで?なんで?なんで?
そのまま起き上がって歩いてもみました。
手を伸ばせば、そこにはちゃんと本があるし、カーテンもある。何かにつまづくこともない。
暗闇に目が慣れてくるように、それはだんだんとはっきりしてきて、まぶたの先に指を1本、2本立てたりするけど、それもちゃんと見える。
脳の働きの悪戯だったら、ああ、これは自分でやっても意味ないな、と思いながら。
残像だったとしたら、こんなに360度リアルに見えるんだろうか…と思ったら、ちょっと怖くなりました。
閉じたまま歩いて行って電気をつけたら、見えるものも明るくなりました。
瞼の中で目をこらしているからか、時間が経つほど鮮明になります。
これ、なんなんでしょ?
それ以来、時々体験します。
試しにタオルで覆ってみましたが、やはり同じでした。
今では慣れてしまったので、見える時もそのまま眠ってしまいますが、その見える条件が何なのかは、未だにわかりません。
実は、昨夜もそうでした。
もしかしたら、目で見ているのではなく、第三の目で見てるとか?という疑惑もあったので、目と目の間を手で覆ってみると…真っ暗になりました。
およよよよよ。
なんだ、やっぱりそうだったのか~と思いながらも眠ってしまいましたが。笑
今までに何度か霊視か?と思われるものを見たことがあります。
もともと何をするにも最終的にはビジュアルで捉えて記憶しているのですが、いきなり画像または動画が現れます。人に関して言えば、一度も会ったことのない人の血縁の方の姿を見たことがありますが、そういうものはすぐ気づきます。その人のことを考えていたら、ふと知らない人が現れるわけですから。
でも、友人や知っている人に関しては、もしかしたら単なる想像として見過ごしている可能性もあるな、と最近思います。
何よりも、自分がそういうものを見ているという自覚がほとんどないので。笑
一番よく見るのは、やはりスポーツに関して。
たとえばサッカーの場合だとすると、試合直前または開始直後に、どちらかのチームの何人かの喜んでいる顔がポンと浮かびます。TVでウォームアップしている時のものが見られる場合には、その時に浮かぶこともあります。私情や思い入れが強すぎるとうまくいきませんが、今までの経験だとほとんど当たっています。
ただ、見たい時に必ずしも見えるというわけではないので、これもきっと何か条件があるはずだと思います。
こういうものを解明したいという気持ちはもちろんありますし、コントロールできたら、とも思いますが、今のところはただの偶然なのか、想像の産物か、自分ではわかりません。
「見る」ということは本当に奥が深いと思います。
必ずしも目で見えるものだけが「見る」ということではないということを知っています。
実際に目で見えないものなのに、あると信じているものはたくさんあります。
最近ミステリーでなく、ちょっと違うジャンルのものを続けて読んでいます。
この地球が将来どうなっていくのか、人類はどう進化していくのか、今までになく興味があり、また心配でもあります。
思うに、現在は超能力を持っている人間は少数派かもしれませんが、この先それが普通になる日が来ると思います。人間には使っていないたくさんの脳の部分を持っていると言われていますし、能力は遺伝によっても受け継がれていくと思いますので、確実に増えていくでしょう。
そうなれば、超能力は超能力ではなくなるわけです。
人間とはケツの穴の小さい動物ですから(失礼!)、特別であるということにいつもこだわり続けます。なぜ特別がそれほど重要なのかわかりませんが、裏を返せば…やっぱりケツの穴が小さいとしか言いようがない。笑
自分の身体さえも把握もしていないのに、持っている知識が最高のものだと言っても説得力は皆無です。
奢りを捨てて謙虚さを持つことこそ、たぶん進化にとって一番必要なことだと感じています。
寝室が薄明かりでぼんやりと見えるんです。
え?なんで?あたしもう目をつぶってるよね…。
もちろん、まだ眠っていないことも確かですし、あちこちとキョロキョロしてみましたが、全部見える。
目つぶっていることを手で確かめて、瞼の上に手をあてても見える。
じぇじぇじぇっ!
さあもう眠れない。
なんで?なんで?なんで?
そのまま起き上がって歩いてもみました。
手を伸ばせば、そこにはちゃんと本があるし、カーテンもある。何かにつまづくこともない。
暗闇に目が慣れてくるように、それはだんだんとはっきりしてきて、まぶたの先に指を1本、2本立てたりするけど、それもちゃんと見える。
脳の働きの悪戯だったら、ああ、これは自分でやっても意味ないな、と思いながら。
残像だったとしたら、こんなに360度リアルに見えるんだろうか…と思ったら、ちょっと怖くなりました。
閉じたまま歩いて行って電気をつけたら、見えるものも明るくなりました。
瞼の中で目をこらしているからか、時間が経つほど鮮明になります。
これ、なんなんでしょ?
それ以来、時々体験します。
試しにタオルで覆ってみましたが、やはり同じでした。
今では慣れてしまったので、見える時もそのまま眠ってしまいますが、その見える条件が何なのかは、未だにわかりません。
実は、昨夜もそうでした。
もしかしたら、目で見ているのではなく、第三の目で見てるとか?という疑惑もあったので、目と目の間を手で覆ってみると…真っ暗になりました。
およよよよよ。
なんだ、やっぱりそうだったのか~と思いながらも眠ってしまいましたが。笑
今までに何度か霊視か?と思われるものを見たことがあります。
もともと何をするにも最終的にはビジュアルで捉えて記憶しているのですが、いきなり画像または動画が現れます。人に関して言えば、一度も会ったことのない人の血縁の方の姿を見たことがありますが、そういうものはすぐ気づきます。その人のことを考えていたら、ふと知らない人が現れるわけですから。
でも、友人や知っている人に関しては、もしかしたら単なる想像として見過ごしている可能性もあるな、と最近思います。
何よりも、自分がそういうものを見ているという自覚がほとんどないので。笑
一番よく見るのは、やはりスポーツに関して。
たとえばサッカーの場合だとすると、試合直前または開始直後に、どちらかのチームの何人かの喜んでいる顔がポンと浮かびます。TVでウォームアップしている時のものが見られる場合には、その時に浮かぶこともあります。私情や思い入れが強すぎるとうまくいきませんが、今までの経験だとほとんど当たっています。
ただ、見たい時に必ずしも見えるというわけではないので、これもきっと何か条件があるはずだと思います。
こういうものを解明したいという気持ちはもちろんありますし、コントロールできたら、とも思いますが、今のところはただの偶然なのか、想像の産物か、自分ではわかりません。
「見る」ということは本当に奥が深いと思います。
必ずしも目で見えるものだけが「見る」ということではないということを知っています。
実際に目で見えないものなのに、あると信じているものはたくさんあります。
最近ミステリーでなく、ちょっと違うジャンルのものを続けて読んでいます。
この地球が将来どうなっていくのか、人類はどう進化していくのか、今までになく興味があり、また心配でもあります。
思うに、現在は超能力を持っている人間は少数派かもしれませんが、この先それが普通になる日が来ると思います。人間には使っていないたくさんの脳の部分を持っていると言われていますし、能力は遺伝によっても受け継がれていくと思いますので、確実に増えていくでしょう。
そうなれば、超能力は超能力ではなくなるわけです。
人間とはケツの穴の小さい動物ですから(失礼!)、特別であるということにいつもこだわり続けます。なぜ特別がそれほど重要なのかわかりませんが、裏を返せば…やっぱりケツの穴が小さいとしか言いようがない。笑
自分の身体さえも把握もしていないのに、持っている知識が最高のものだと言っても説得力は皆無です。
奢りを捨てて謙虚さを持つことこそ、たぶん進化にとって一番必要なことだと感じています。
ここには去年初めて訪れました。
亡くなった故人との最後の思い出でもあります。その縁で来た金沢で再び訪れる時間ができたのは、もしかしたら故人の計らいだったのかもしれません。
昨年は知らずに通り過ぎてしまったところがたくさんあったので、是非近いうちにもう一度…と思っていました。
古くから霊山信仰の聖地として仰がれてきた白山は聖域であり、生活に不可欠な“命の水”を供給してくれる神々の座でした。御鎮座二千百年を越える白山比咩神社は、霊峰白山を御神体とする全国白山神社の総本宮です。
ご祭神は「白山比咩大神(=菊理媛尊)」。

ここは、一番大きな駐車場のあるところではなく、その下の「一の鳥居」です。

鳥居をくぐると美しい参道の始まりです。そうなんです、ここを歩きたかったんです。

高くそびえる老杉並木の参道が続きます。時々木漏れ日が差し込み、静かで特別な空間のようです。

表参道の中ほどにある小さな滝。清冽な谷水を手取川に注いでいます。この水の音がBGM。

御神木。根元の周り約12m、胸高幹周り約10m、樹高約42mの巨木で、樹齢はおよそ800年といわれています。(白山市指定天然記念物)

手水舎の龍が大きくて怖い。

二の鳥居、三の鳥居をくぐって幣拝殿へ。内部は総檜造りで、本殿とは30段の木階登廊で結ばれています。

白山比咩大神を乗せて白山に登拝するといわれる神馬。絢爛豪華。

ここも前回見逃していた延命長寿の霊水として名高い白山水系の伏流水。北参道手水舎横に湧き出ており、自由に汲んで持ち帰りができます。

御朱印です。
もうひとつ、宝物館にも行きたかったのですが、残念ながら閉館していました。またの機会ということで。
亡くなった故人との最後の思い出でもあります。その縁で来た金沢で再び訪れる時間ができたのは、もしかしたら故人の計らいだったのかもしれません。
昨年は知らずに通り過ぎてしまったところがたくさんあったので、是非近いうちにもう一度…と思っていました。
古くから霊山信仰の聖地として仰がれてきた白山は聖域であり、生活に不可欠な“命の水”を供給してくれる神々の座でした。御鎮座二千百年を越える白山比咩神社は、霊峰白山を御神体とする全国白山神社の総本宮です。
ご祭神は「白山比咩大神(=菊理媛尊)」。
ここは、一番大きな駐車場のあるところではなく、その下の「一の鳥居」です。
鳥居をくぐると美しい参道の始まりです。そうなんです、ここを歩きたかったんです。
高くそびえる老杉並木の参道が続きます。時々木漏れ日が差し込み、静かで特別な空間のようです。
表参道の中ほどにある小さな滝。清冽な谷水を手取川に注いでいます。この水の音がBGM。
御神木。根元の周り約12m、胸高幹周り約10m、樹高約42mの巨木で、樹齢はおよそ800年といわれています。(白山市指定天然記念物)
手水舎の龍が大きくて怖い。
二の鳥居、三の鳥居をくぐって幣拝殿へ。内部は総檜造りで、本殿とは30段の木階登廊で結ばれています。
白山比咩大神を乗せて白山に登拝するといわれる神馬。絢爛豪華。
ここも前回見逃していた延命長寿の霊水として名高い白山水系の伏流水。北参道手水舎横に湧き出ており、自由に汲んで持ち帰りができます。
御朱印です。
もうひとつ、宝物館にも行きたかったのですが、残念ながら閉館していました。またの機会ということで。
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Izzie
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女性
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