毎日の中で出会ういろいろなことを徒然なるままに…♪
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産土神社を調べるのにすったもんだしましたが、今年やっとお参りに行くことができました。
遠いので、一年に一回行けるかどうかですが。
お参りしてから、変わったことがいくつかあります。
帰ってきた時、いつも見守られているという感じが大きくなっていたこと。
言葉で表現するならば、そういうことです。
いつも安心していられる、という感じ。
つい、もしかしたら宗教とはこういうものなのか…と考えてしまいました。
昔から宗教というものに興味があって、いろいろなものをちょっとづつ齧ってはいましたが、それはいつも自分が中に入らずに外から眺めていただけ。
なぜ人間は宗教に興味を持つのか、どこに惹かれるのかが知りたかったからです。
また、生まれた時にすでに宗教が決まっている、ということはどういうものなのか、ということにも興味がありました。
日本人は慣習などという点で仏教などを取り入れていますが、実際には違いますよね。
一途に教えをすべて守り実行しているわけじゃない。
条件など一切なしに、常に自分の傍にいて守ってくれるもの。
それは親…と言いたいところですが、昨今では違うようですし。
悲しいことです。
常日頃思うことは、日本人って強いってことです。
時折神頼みはしても、実際には神様に頼ることはしない。
自分の力を信じて、世知辛い世の中をちゃんと生きて行く。
これって、すごいことです。
けれど、もしそういう存在があったら、もしかしたらもっと楽に生きていけるんじゃないか。
ミステリーじゃないですけど、イエスに子孫がいて本当は神じゃない、となったら、キリスト教信者はどうなってしまうのか。
バチカンはどうなってしまうのか。
傍から見ればかなり興味をそそられますが、実際には世界が大変なことになってしまいます。
でも、何かを信じられる、ということはとても幸せなことだとも思います。
イエスが神だと信じて、幸せな一生が送れるとしたら、それはそれでいいのですから。
でも、お金を要求する神様は絶対にいない、と思ってます。笑
産土の神様を知らない人や信じていない人はたくさんいるでしょう。
でも、日本には昔から神様がたくさんいました。
そして皆が、今で言う超能力を持っていた。
私、これ、信じています。
自然と共に暮らして恩恵を預かりながら、感謝して生きる時代です。
人々がもっと純粋で繊細だった頃。
でもだんだんとその能力を失くし、現在も尚能力のある人がいるのに、その他大勢の人たちは能力自体を信じくなった。
本来は皆が持っていたと思うのです。
今でも、頭の中の知識などに邪魔されずに、もっと心の声に耳を傾ければ勘は鋭くなります。
さて、もうひとつの恩恵は、探し物が出てくるようになったこと。
だいたい私は整理整頓下手ですが、どこに何があるかは絵で覚えています。
たしかここで見た、というように。
ダンナよりは確率は高いですが、それでもまだまだ見つからないことの方が多い。
ところが、産土さんから帰ってきてからは、今のところ100%です。
それも結構早く出てきます。
うろ覚えであっても、そこにはなくとも、必ず出てきています。
探し物の三回目くらいから、これに気がつきました。
あ~もう昔のものだし、どこにあったかも覚えていない、というものがぴょんと出てきたからです。
それからは安心して探しています。笑
今でも夜眠る前には、手を合わせて感謝することが習慣になっていますが、これは小学校に上がる前の何年かに、近くの教会に通っていた頃の影響です。
親がキリスト教徒だったわけではなく、子供会みたいなものでした。
きっと躾の一環として、しばらく通わせてみようかという軽い気持ちからだったんでしょう。
宗教という意識はまるでなく、ただ友だちと一緒に行くことが楽しみでした。
でも、私がここで学んだことはひとつ。
感謝すること、でした。
今日が無事に過ごせたこと、食べ物が食べられたこと、などなど。
そういう意味では、母にとても感謝しています。
私はとても欲深い人間ですから、ついないものねだりをしてしまいます。
そのたびに、あ~いかん、いかん、あるものに感謝しなくっちゃ、と思うのです。笑
遠いので、一年に一回行けるかどうかですが。
お参りしてから、変わったことがいくつかあります。
帰ってきた時、いつも見守られているという感じが大きくなっていたこと。
言葉で表現するならば、そういうことです。
いつも安心していられる、という感じ。
つい、もしかしたら宗教とはこういうものなのか…と考えてしまいました。
昔から宗教というものに興味があって、いろいろなものをちょっとづつ齧ってはいましたが、それはいつも自分が中に入らずに外から眺めていただけ。
なぜ人間は宗教に興味を持つのか、どこに惹かれるのかが知りたかったからです。
また、生まれた時にすでに宗教が決まっている、ということはどういうものなのか、ということにも興味がありました。
日本人は慣習などという点で仏教などを取り入れていますが、実際には違いますよね。
一途に教えをすべて守り実行しているわけじゃない。
条件など一切なしに、常に自分の傍にいて守ってくれるもの。
それは親…と言いたいところですが、昨今では違うようですし。
悲しいことです。
常日頃思うことは、日本人って強いってことです。
時折神頼みはしても、実際には神様に頼ることはしない。
自分の力を信じて、世知辛い世の中をちゃんと生きて行く。
これって、すごいことです。
けれど、もしそういう存在があったら、もしかしたらもっと楽に生きていけるんじゃないか。
ミステリーじゃないですけど、イエスに子孫がいて本当は神じゃない、となったら、キリスト教信者はどうなってしまうのか。
バチカンはどうなってしまうのか。
傍から見ればかなり興味をそそられますが、実際には世界が大変なことになってしまいます。
でも、何かを信じられる、ということはとても幸せなことだとも思います。
イエスが神だと信じて、幸せな一生が送れるとしたら、それはそれでいいのですから。
でも、お金を要求する神様は絶対にいない、と思ってます。笑
産土の神様を知らない人や信じていない人はたくさんいるでしょう。
でも、日本には昔から神様がたくさんいました。
そして皆が、今で言う超能力を持っていた。
私、これ、信じています。
自然と共に暮らして恩恵を預かりながら、感謝して生きる時代です。
人々がもっと純粋で繊細だった頃。
でもだんだんとその能力を失くし、現在も尚能力のある人がいるのに、その他大勢の人たちは能力自体を信じくなった。
本来は皆が持っていたと思うのです。
今でも、頭の中の知識などに邪魔されずに、もっと心の声に耳を傾ければ勘は鋭くなります。
さて、もうひとつの恩恵は、探し物が出てくるようになったこと。
だいたい私は整理整頓下手ですが、どこに何があるかは絵で覚えています。
たしかここで見た、というように。
ダンナよりは確率は高いですが、それでもまだまだ見つからないことの方が多い。
ところが、産土さんから帰ってきてからは、今のところ100%です。
それも結構早く出てきます。
うろ覚えであっても、そこにはなくとも、必ず出てきています。
探し物の三回目くらいから、これに気がつきました。
あ~もう昔のものだし、どこにあったかも覚えていない、というものがぴょんと出てきたからです。
それからは安心して探しています。笑
今でも夜眠る前には、手を合わせて感謝することが習慣になっていますが、これは小学校に上がる前の何年かに、近くの教会に通っていた頃の影響です。
親がキリスト教徒だったわけではなく、子供会みたいなものでした。
きっと躾の一環として、しばらく通わせてみようかという軽い気持ちからだったんでしょう。
宗教という意識はまるでなく、ただ友だちと一緒に行くことが楽しみでした。
でも、私がここで学んだことはひとつ。
感謝すること、でした。
今日が無事に過ごせたこと、食べ物が食べられたこと、などなど。
そういう意味では、母にとても感謝しています。
私はとても欲深い人間ですから、ついないものねだりをしてしまいます。
そのたびに、あ~いかん、いかん、あるものに感謝しなくっちゃ、と思うのです。笑
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