忍者ブログ
毎日の中で出会ういろいろなことを徒然なるままに…♪
<< 2025 / 05 >>
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31
[ 38 ] [ 39 ] [ 40 ] [ 41 ] [ 42 ] [ 43 ] [ 44 ] [ 45 ] [ 46 ] [ 47 ] [ 48 ]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

私の大好きな5月になりました。

社会人になってからは本当にGWというものに縁がありません。
それはいわゆるサービス業という仕事だったからですね。
GWは逆に忙しくなる。

結婚しても、ダンナはサービス業じゃありませんがGWはなし。
ということで、未だに縁なし。

でも、どこに行っても混んでることは間違いないので、他の人が働いている時にその分の休みをとって旅行したりする方が案外お得なのかも。
そう考えなくちゃやってられまへん。

だから、いつからいつまでがGWなのか、未だにわからない。笑

ただ、街の中はやんわりした空気に包まれていて気持ちいいです。

今年の”志の輔らくごin PARCO"を堪能しました。
これは絶対に見逃せない。
どこからこういう発想が湧き出てくるのか、志の輔さんの間の取り方、もはや演技力とは言えない自然さ、迫力、すべてがスゴイ。
一度でいいから生で見てみたいな~。

拍手[0回]

PR
以前から問題になっている体罰。
教育の場においてもスポーツにおいても、昔とは考え方が変わってしまいました。
どうして変わってしまったのか。

スポーツを教えたことのある身としては、体罰かそうでないかの違いはこのひとつにあると確信しています。
それは、愛情があるかないかのみ。
自分の子供であろうとなかろうと、本当にその子のことを考えてのことなのかどうか。

最近は親でさえ子供に充分な愛情をもてない人たちがいること、つまり真剣に子供のためになることを考えられない親がいること。
たぶん、これも事実なんだと思います。
昔と比べて、家庭という躾の場所と教育という学校の信頼関係も薄れ、片方が、またどちらも機能していない場合がこういう事態を招くのではないでしょうか。

受ける側が体罰と感じること。
これも信頼関係の欠如。
コミュニケーションの不足。
そう思えてなりません。
その場合は、やはり与える方の責任だと思います。

体罰という行為が必要なのかどうか。
スポーツの世界では当たり前のように行われていた時代もありました。
根性を鍛えるなどという名目で。
そして、そのスポーツの世界もまた変わってきています。
根性などということよりも科学的な方法で鍛えるということに。

科学的に分析し、理論に基づいた方法で技術を伸ばすことはできます。
でも、それではその根底に必要な精神力はどこから?
昔ながらのやり方が良いというのではなく、肉体も精神力も共に進歩しなくちゃ意味がありません。
叩かれても叩かれてもめげない、諦めない、そういう気持ちは本来は良い選手のもつ条件のひとつです。
ではそうでない人たちはどうすれば精神力を身につけることができるんでしょうか。
その人に合った方法で身につける必要があります。
褒めて伸ばすやり方、本当はこれが一番良いのでしょうが、上手くいかなければ他の方法を見つけなければなりません。

私は古いタイプの人間ですから、叱られたり怒鳴られることには慣れています。
時間が経つと、その人に感謝するようにもなります。
誰が好き好んで悪者になりたがりますか?

でも、そういう考え方もだんだん通用しなくなっているような気がします。
体罰にもいろいろありますが、受ける側のことをよく理解できていれば、そして与える方の考え方をちゃんと理解されていれば、そんなに問題になることなのか、と正直思います。
たとえ、本人同士以外の親などがなんと言おうと、です。

実際に、私自身は酷い体罰は与えたことはありませんが、これができなかったら向こうでこれを何回やってこい、などということは普通でした。
今ではこんなものも体罰とか言われそうですよね。
でも、その目的を予め明確にしておく、日頃から私の考え方を理解してもらう、ということは怠ったことはありません。
何のためにやるのか、やる気があって来ているのか、これを常に意識させておくことが大切です。

最後に、教える側も昔とは変わってしまっているのかもしれません。
必要でない体罰、ストレスを晴らすための体罰はもっての他ですが、仕事として割り切ってしまってしまえば、本当の意味の”教える”ということはできない、と考えています。
人間として丸ごと引き受ける、という覚悟がなければ、たとえスポーツの世界だとしても良い結果は得られないと思っています。

拍手[1回]

いやいや、まさか自分が蓄膿症になるとは、夢にも思いませんでした。
耳鼻科関係といえば、小さい時に中耳炎に一度かかったくらいで縁がありませんでしたからね。

今回それと気づいたのは鼻水に臭いがあったからで、そうでなければきっとわからなかったでしょう。
そう思ってふと考えると、もちろん臭いは初めてですが、頬骨あたりの違和感って、なんだか初めてじゃないんじゃないかってことに気がついたんです。
風邪をひいたりすると、時々顔面を押さえるとちょっと痛かったり、下を向くとなんだかそこだけ重く感じたり。
いつからかはわかりませんが、そうなると、とっくに慢性化していたのではないか。
くーっ、怖いですねぇ。

と言いながらも、大の医者嫌いはそれでも病院に行ってません。笑
旅行中はなかなかできなかったので、帰ってから早速集中治療を始めています。
まず起きたら「活」を飲みます。
少しづつまめに飲めるように、水で薄めたものをペットボトルに用意して、一日で1本飲みます。
「活」で0.9%の荒塩の食塩水を作って、鼻専用容器で鼻の奥にシュッシュッ。
これは一日に何十回も、気がついた時にやります。
顔に違和感を感じる時は「活」をコットンにふくませて湿布。
やはり同じ食塩水を、一日に何回か目にもさします。
「活」を入れたお風呂にも入ります。
鼻に効くというツボ、前髪際より指1本上の上星穴、眉の間の印堂穴を一日に何回か押す。
鼻の穴の際の迎香をぐるぐるとマッサージする。
それを一日に何回かやります。
なた豆茶を一日に4.5杯飲みます。

この「活」三昧とツボの刺激の日々を過ごして二日経ち、三日目になったら急に顔面が軽くなりました。
顔を押してもほとんど痛くないし、臭い鼻水もほとんど出なくなりました。
自己診断では、改善されているようです。

それでも悪化すると怖いですから、しばらくは続けるつもりです。
やはり脳に近いものは怖いです。
自慢の鼻が利かなくなるのもこわい。

なら、さっさと医者に行けよ。

わかっておりますとも。
これでも一応悩みました。
でもね、できれば強い薬や手術なんてことは遠慮したい。
いつも思うんですが、ここの切り替えがすごく難しいんですね。
自分で自分の身体を完璧に治すことができない以上、東洋と西洋医学をうまく使いこなすことが大切だと思うんです。
強い薬ばかり使って自己免疫力をなくすようなことにはなりたくない。
でも限界はあると思うので、場合によっては西洋医学のお世話にもならなくちゃならない。

以前にてんかんでお世話になった先生に診ていただければ最高なんですが、先生はとっくに引退。
近日中には戸嶋先生のヒーリングをお願いするつもりです。

なんにせよ、年を重ねていくといろいろなところにガタがくるのはどうしようもないことですね。

拍手[0回]

金沢にある妹のお店コラボンに寄った時、黒板メニューに酒粕ジェラートと書いてあるのを見つけて味見をさせてもらいました。



酒粕といえば、亡くなった母が大好きでしたが、私はほとんど食べたことがない。
ところが、これが大人の味、というか、しっかりとしたお酒の後にくるミルクが完璧に融合するんですねぇ。
しかもアルコールは1%未満なので子供でも大丈夫だそうです。

あまりに美味しかったので、家に送ってもらうように頼みました。
そして、今日届いたのがこれ。



6個入りを送ってくれました。
このために冷凍庫のスペースを空けておきましたとも。笑

清酒「七本鎗」を醸す滋賀県の冨田酒造さんから販売されています。
興味のある方はこちらから購入できます。

拍手[0回]

映画「そして父になる」を観ました。
テーマを知った時、絶対に見るぞという気持ちと、ちょっと怖い気持ちが半々でしたが、この映画は秀逸です。

産院で看護婦によって故意に取り違えられたふたりの赤ん坊が、六年経ってそのことが判明。
このこと自体はどんなに謝罪されようとも許されることではありませんが、この事件によって親としてひとりの人間として大人が成長していく。

実は私には生みの親と育ての親がいます。
生まれる前から実の父の姉、つまり叔母に引き取られることが決まっていました。
これこそ、自分ではどうにもできない運命。
一人っ子として育ち、叔母叔父と言われていたのが実の両親で、従姉妹と言われていたのは実は姉妹だったと初めて知ったのは大学を卒業した時でした。
もちろん混乱もしましたし、なんで?と疑問も持ちましたが、その時私の心の中で一番大きく占めたものは、意外にも、今まで実の子のように育ててくれた両親への感謝の気持ちでした。
年令的にも、知った時期がよかったのではないか、と今でも思っています。
事実を冷静に受け止めることのできる年になっていましたからね。

それと同時に、初めての子供を手放さなければならなかった実の両親の心も想像できました。
情が湧く前に、と生まれてすぐに産院から連れ出された時、母は裸足で追いかけてきたと聞いたこともあります。
父が東京に転勤になった時、私にひと目会いたいと、ある駅のホームの反対側から一度だけ姿を見ることを許されたということも知っています。
育ててくれた両親も長い間、隠し事を胸に秘めていてどんなに辛かっただろう。
それに報いることができたんだろうか。
今でも時々考えることがあります。
それらを全部合わせても、私は望まれて生まれてきて、たくさんの人に愛されていたんだとしみじみ思いました。
そして、四人の親に感謝という言葉では足りないほど、心の中でありがとう、と言いました。

実際にこのことは、私の人生を大きく変えたと言ってもいいと思います。
適当に生きるのではなく、ちゃんと生きよう、たくさんの愛情を受けた分、周りの人たちにも誠意をもって感謝して接しよう、そして人のためになる何かをしよう、と決心したからです。
育ての母はとても厳しい人でしたが、いつも私の将来を見据えていました。
そんな母の影響はとても大きく、今の自分があるのも母のおかげだと思っています。
これはきっと母との縁がとても強かったのかもしれません。

金沢での法事は実の父の一回忌でした。
育ての両親はふたりとも亡くなっていますので、今は母がひとり残っているだけです。
育ての親が生きている間は、やはりふたりの気持ちを考えて、ほとんど連絡をとることはありませんでしたが、亡くなってからは、頻繁に連絡をするようにして旅行などにも連れて行ってあげることもできました。
まだ元気な母には、今までできなかった親孝行を、これからももっとしたいと考えています。
空白の時間を埋めることはできませんが、それでも生んでくれたことへの恩返しを少しでもできるんじゃないかと思うからです。

そういう状況で育ったので、私にとっては血のつながりというものがイマイチぴんときません。
姉妹との付き合いも、う~ん、という感じ。
友だちと同じなのか、それとももうちょっと毛が生えた感じなのか。笑
でも、血のつながりというのは、とても不思議なものです。
言葉では表せない何かは常に感じます。
でもそれは、私を温かく受け入れてくれている親や姉妹のおかげなのかもしれません。

ひとつだけ、なるほどと思ったことがあります。
私は姉妹の中でも一番父親似なんですが、父と同じ職業につきたいと思ったことです。
まだ関係を知らなかった時に、すでになりたいと思っていました。
実現はしませんでしたが、これが血のつながりというものなんでしょうねぇ。

直接血が繋がっていなくとも、それ以上の愛情や思いやりを持つことができる。
それは確信しています。
ただ、私にとって幸いなことは、まったくの他人ではないということです。
昔はこういうことは珍しくなかったようですし、育ての母は叔母ですから血は繋がっています。
となると、父とは他人ということになりますが、それはもう可愛がってもらいましたから、本当に感謝するだけです。

この映画は、結構ドキドキしながら観ました。
六才という年令の時に知ったら、私はどう思ったんだろうか。
映画の中ほど差はなくとも、私はすでに東京に来ていて、かなり環境も違っていました。
一人っ子の私が姉妹の中に溶け込むことはさほど難しくはないと思いますが、反対だったらやっぱり寂しくなって帰りたいと思うのかもしれない。
などと、いろいろなシチュエーションを想像してみました。

親の立場として考えるならば…やはり血のつながりを第一に考えるのは仕方ないのか、と初めは思いましたが、環境というのは想像以上に大きいものなんですね。
人間の心の柔軟性も計り知れないものを含んでいます。
映画では同時に父親の成長も描いていますが、やはり親も子供によって成長するもの。
普通に育った人にはただの物語として映るのかもしれませんが、そうでない人にはさまざまな感情を呼び起こす映画です。

重いテーマなのに、観た後に爽やかな感動を残す、そんな映画でした。

拍手[1回]

カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新コメント
[03/30 galleryF]
[03/28 galleryF]
[01/13 galleryF]
[12/22 galleryF]
[11/28 galleryF]
プロフィール
HN:
Izzie
性別:
女性
NOW ON SALE !
Tシャツカラー5色、14サイズ展開中♪
フリーエリア
Twitter
願掛ブログパーツ






世界の貧困、災害、紛争に苦しむ子どもたちを支援する国際NGOワールド・ビジョン・ジャパン



NPO法人犬と猫のためのライフボート~手を伸ばせば救えるいのちがある~


ブログ内検索
バーコード
Template by kura07,
忍者ブログ [PR]